コードレビューで止まっているのは、いつも私だった
この半年、コーディングという行為のかなりの部分がagentic codingに置き換わっていった。CursorやClaude Codeがコードを書き、指摘すれば修正し、テストまで生成してくれる。
それでも、プロダクトのデリバリー速度が劇的に上がったかというと、そんなことはなかった。
理由は単純だ。AIがコードを書くスピードに、人間の判断が追いついていない。とくに顕著なのが、コードレビューだ。他のメンバーがAIと作ったPRを、私がレビューする。このとき、私がボトルネックになっている。差分を読み、意図を理解し、設計の妥当性を判断する。AIは「パターンとして正しいか」は見てくれるが、「このプロダクトに合っているか」は見てくれない。そこはまだ、人間の仕事だ。
テストも同じだ。AIはテストコードを生成できる。でも「何をテストすべきか」「どこまでやれば十分か」「どうやって検証するか」を決めるのは人間で、ここでも立ち止まる。
つまり、コーディングという行為の前後に存在する「判断」の工程で、人間が律速になっている。この「判断」の正体をたどっていくと、結局は「責任」に行き着くのだと気づいた。
AIと人間、それぞれの領分
AIはコードを書ける。でも、そのコードが誰にどう届くかの責任は取れない。
責任とは「これで大丈夫です」と言える状態のことだ。自信を持ってリリースボタンを押せるかどうか。その自信の根拠を集める作業こそが、コードレビューであり、テストの範囲決めであり、設計の検討なのだ。
そして責任は、AIに代替できない。これは技術の限界ではなく、構造の問題だ。責任を負う主体が人間でなければ、誰もそのプロダクトを使わない。
ならばエンジニアは何をすればいいのか
こう整理してみると、エンジニアの仕事の重心は「コーディング」から「責任を取れる状態を維持すること」に移っている。
私がフロントエンドエンジニアだからというのもあるが、最近はコーディングそのものよりも、WCAGへの配慮や、使い勝手、直感的に理解できるUI、品質保証といった観点を考える時間が増えている。これらは「コードを書く前」か「書いた後」の工程だ。
コードを書くという行為は、もはや人間の価値ではないのかもしれない。価値があるのは、そのコードが誰かの役に立つと判断し、責任を持って届けることだ。
責任のまわりにあるカオスを整える
一方で、責任を取るための準備作業には、まだまだ非効率な部分が多い。影響範囲の調査、仕様の確認、関係者とのすり合わせ。このあたりの「カオス」には自動化の余地がある。ここを整備していくことが、これからの各ロールの価値になっていく。
フロントエンドで言えば、アクセシビリティチェックの自動化、ビジュアルリグレッションテストの整備、デザインシステムによる一貫性の担保。これらは「責任を取れる状態」を豊かにする仕組みだ。責任そのものは人間にしか負えないが、そのまわりにあるカオスはAIや自動化でかなり整理できる。
まとめ
Agentic codingがコーディングを吸収していく時代に、エンジニアが手放してはいけないのは「責任」だ。責任はAIに代替できないからこそ、人間の価値になる。
コーディングの速度ではなく、責任を取れる状態をどれだけ豊かにできるか。これが、これからのエンジニアに求められることなんじゃないかと思う。